『レディメイド・クロウジーズ』 02

 翌日からゴールデンウィークが始まるという理由もあって、その日のホームルームは恐ろしく慌しかった。大型の連休に詰め込んだ自分の予定をがやがやと話し合う生徒たちに、普段は温厚な担任も堪忍袋の緒を切らせそうになっていたほどだ。
 その日も俺と円香は、いつものように一緒に下校していた。
「ゴールデンウィークなんて言ってもなあ……何も面白そうなことないんだよな。家の大掃除でもするかな」
「……それもいいと思うけど、若者らしくはないわね」
「なんだよう。えーと、円香は親戚んトコに泊まりだっけ」
「そうよ」と、円香は頷いた。確か、隣の県にある母方の親戚の家に呼ばれているらしい。お嬢さんで通っている円香は、親戚まわりでは随分と可愛がられているらしい。俺とは大違いだ。
「お小遣い貰ったり、美味しいもの食べたりするんだろうなあ」
「ちょっと、そんな羨ましそうな目で見ないでよ」
「だって羨ましいもん。それに円香だって楽しそうじゃん」
「……うん、すっごく楽しみ」
 にっこりと微笑みながら、円香は通学鞄を振り子代わりにして、くるりと綺麗にターンしてみせた。

 次の日、円香は親戚の家へ出かけた。
 日程こそ予定していた通りだったが、それは「お出かけ」なんかではなかった。円香を迎えに来ていた従兄の車が、交通事故に巻き込まれたのだ。その日の宵、円香の前に現れたのは「優しくて背が高くて格好いいんだから」と俺に自慢していた従兄ではなく、気の毒そうな表情で訃報を届ける警官の姿だった。
 円香は、従兄の葬儀が終わると家に戻ってきたが、俺はどう言葉をかけていいのか分からないまま、為す術もなく、ひとりで連休を過ごした。何だか、とてもつまらなかった。

 ゴールデンウィーク最後の夜、不意に窓ガラスを叩く音がした。
「……和樹、開けて」
 そんな場所から入ってくるのは、円香しかいない。俺はカーテンを引き開けて錠を外した。あろうことかパジャマ姿の円香は、
「ありがとう」と呟いて、部屋の中に入ってきた。
 円香はやつれ切った様子を目にして、俺は驚きを隠せなかった。泣き腫らした赤い目、睡眠不足なのだろう目の下のくま、心なしか頬さえこけているように見える。円香は弱々しく微笑んで、
「ひどい顔してるでしょ、私」と言った。
「……なんか、大変だったみたいだな。お茶でも淹れようか?」
「ううん、いいよ。ごめんなさい」
「そっか」と呟いて、俺は黙った。円香との腐れ縁は十年以上にもなるが、こんな気まずい場面は初めてだった。何か言おうとしても言葉がまったく出てこない。しばらくの沈黙が続いた後、
「好きだったの、あのひとのこと」
 唐突に円香は呟いた。それは完全な不意打ちだった。あのひと、とは亡くなった従兄のことなのだろう。意外だった。いつだって俺と一緒に居るものだから、円香が他の男を好きになるなんて、想像したこともなかった。まったく、これっぽっちも。
 訳も分からず胸の奥が苦しくなって、俺は黙りこくったまま唇を噛んだ。何を勘違いしてたんだろう、と馬鹿馬鹿しくなった。俺は円香にとって、何も特別なんかじゃない。
 俺は円香にとって、ただの幼馴染みに過ぎないんだ。
 また、長く重苦しい沈黙。そして、
「あのね、和樹に頼みがあるのよ」と円香が言った。
「和樹は昔からずっと私と一緒にいてくれたし、誰より信頼できる友達だと思ってる。だから……和樹にしか頼めないことなの」
 円香は真直ぐに俺の顔を見つめてきた。俺は予想もしてなかった言葉と円香の視線に混乱して、思わず目を逸らした。すると円香は不意に俺の手を取って、
「来て」と言った。

 ベランダを伝って、俺たちは円香の部屋へ入った。
 淡いアイボリーの色調にまとめられた円香の部屋は、いつ来ても独特な清潔感を漂わせている。学校での優等生ぶりをそのまま部屋に反映したような、いかにも几帳面に整頓された部屋だ。
 円香は折り畳み式のテーブルを広げてクッションを敷くと、
「座って」と告げた。内心落ち着かないまま、俺は従った。
「親父さんたちは戻ってないの?」
 円香は部屋の隅にあるクローゼットの中を手探りしながら、
「父さんと母さん、しばらく向こうに泊まってるって……叔母さんたち、すごく参ってるみたいだから」
 参ってしまってるのは円香も同じじゃないか、と思いながら、
「そっか」と、俺はまた芸のない相槌を打った。
 円香はクローゼットから一冊のスクラップブックを取り出すと、俺の隣に腰を下ろした。
「これを見てほしいんだけど……ひとつだけ約束して。絶対に最後まで何も言わないで。何も訊かないで。ちゃんと、後で話すから」
 いつになく真剣な円香の声に、俺は無言で頷いて応えた。
 円香はスクラップブックをテーブルの上に置き、円香特有の丁寧な字で『私の記録』と書かれた表紙をめくった。
 最初のページには、写真が何枚か綴じられていた。プリクラではなくてちゃんとした写真を撮っている辺りが、いかにも円香らしいと思った。どの写真にも、円香と一緒に眼鏡の男が写っていた。
「これが……あのひとよ」
 円香は、写真の中の男を指し示しながら告げた。一見して大学生くらいに見えるそいつは、円香が自慢していた通りに「優しそうで背が高くて格好いい」男だった。写真の中の円香は、そいつと腕を組んだり手を繋いだりしながら、とても楽しそうに笑っていた。
 ちくり、と俺の胸の中で何かが痛んだ。
 円香はスクラップブックを僕の前へそっと押しやり、
「次のページからは、和樹が自分で見て。でも……」
 どこか思いつめたような声音で、また俺に念を押した。
「絶対に、何も言わないで。何も訊かないで」
 また俺は無言で頷いて、ページをめくり、
 そして、

「……え?」

 自分が何を見ているのか、まったく分からなくなった。


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